根本山登山コース

群馬県桐生市の根本山登山コースを歩いてきました。

登山コース概要

根本山は近世では根本山神社のご利益を授かろうとする参詣の人々でにぎわったとされ、江戸期にはガイドブックも出版されたほどで、根本山神社までの街道に石灯篭、丁石が今も残されている。

石鴨林道

この林道は一般車両通行止めとなっております。上画像の案内板の200mほど手前には車が10台ほど止められるスペースがありますのでそこに駐車して徒歩で林道へ向かいます。案内板の隣には登山者ノートがあるのでそこに入山時間、人数、名前などを書いて行きましょう。下山するときは下山時間の記入も忘れずに。

熊鷹山

標高は1169mです。山頂には360°展望台が設置されており、周囲の山々を一望できます。この日は曇りで強風と小雨と天候は良くありませんでしたが、視界はそれほど悪くはありませんでした。
記念に展望台の下にあるノートに書き込み根本山方面へ向かいます。


十二山神社

途中に氷室山方面へ向かう分岐がありましたが、そちらは今回のルートとは外れるため、後に周るとします。しばらく歩くと開けた場所が現れました。ここならキャンプが出来そうだなと思いながら進んでいくと、崩れたバラックを4つ見つけ、その奥には2つの御神木に守られるような形で祠がありました。ここが十二山神社のようです。

  

石碑にはこう書いてありました。

石宮奉納碑銘
当根本山神社の御社殿は甚だしく腐食破損し、恐れ多い極みであった。此の度、敬神の念厚い崇敬者有志の浄財を募り、永く風雪に耐える白御影石御社殿を奉納するものである。ここに石宮奉納事業協賛者芳名を兆し顕彰する。昭和61年9月吉日 十二山根本山神社石宮奉納

 

十二山神社沿革
当社は大山祇命を祀る、古く山岳信仰盛んなころ修験道の霊地として開かれ、人々の深い信仰を集めて来た。

1771年(明和8年)
小野清雲が小石祠を建設

1789年(寛政元年)
幅1.5m 高さ1.8m余りの総ケヤキ造御本殿並に幅5.4m 奥行き4.5mの木造の拝殿を構社により建設

1806年(文化3年)
小野清典が本地仏薬師如来を守る十二神将を納めて以来、十二山と呼ぶ。前面平地に幅14.4m奥行き7.2m木造2階の籠堂が南向きに建つ。

1896年(明治29年)~1927年(昭和2年)
祀職永澤宗次郎親子が居住し、その西北すみに薬師如来と十二神将が奉られる。

1928年(昭和3年)
社殿共全焼。時に黒澤の有志が木造小宮と上屋を奉納。

1986年(昭和61年)9月 石宮奉納

根本山神社は1771年に小野清雲により建設された、大山祇命を奉る神社です。本地仏薬師如来を守る十二神将を納めて以来、十二山と呼ばれるようになりました。木造二階建ての籠堂が建てられ、1896年から1927年まで祀職永澤宗次郎親子が居住していたとのこと。

下の画像は神社近くの落雷で焼け落ちたと見られる木。十二山神社は昭和3年に火災で焼け落ちたとのことですが、落雷という可能性も否定できませんね。

根本山山頂

道中にひょっこり現れた「根本山山頂」という看板。百名山にしては見晴らしはそれほどではありませんでした。おそらく歴史的背景が評価されたのでしょうか。

中尾根コース

時間と体力的に余裕が無かったので、今日は中尾根コースで下山することにしました。登山口の案内板には「中尾根コースは森林浴を楽しみながら根本山に向かう道としておすすめコースとなっています。」とありますが、個人的には道が荒くオススメできません。木々を掻き分けるような道で見通しも不良です。どちらかといえば近道というような印象でした。


目印が途切れているところもあり道を見失いそうになります。


岩場を下ります。画像では分かりづらいですが結構崖です。落ちたら大怪我は間違いないでしょう。


行き止まりで道を見失ったかと思いきや、ロープが上に伸びていました。後ろは崖でロープは枯れ木につながれているだけなのでロープは過信しないように。それと、頭上の倒木に頭をぶつけないように気をつけましょう。


チェックポイントとされている石祠が現れました。登山口までもう直ぐです。


険しい中尾根コースが終わり林道に下りました。この林道を700mほど歩けば登山口です。お疲れ様でした。

登山時間:4時間半ほど
消費:水500cc、カロリーメイト4本

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