家族の縁って何だ

自分は姉とその彼氏と同居している。この間些細な事で、姉の彼氏にケンカを吹っかけられ顔を蹴られた。どちらが悪いというわけでもなく日々のすれ違いからだった。姉の彼氏は若い頃は暴力団との関係があったようで、脅す時には必ず暴力団の件とぶっ殺すぞという台詞。以前にヤクの売人をやっていたというような事を言っていた。ヤクザが挨拶に来るんだとやたらビックマウスだが、ヤクの売人なんかしていたということは、位としてはヤクザの下請けのチンピラ程度だったのではないかと思う。殺すという脅し文句だが、犬猫を飼っているような人間に殺しができるはずも無い。

姉からは「あんたとはキョウダイの縁を切ったから」とか言われたがいまいちピンと来なかった。姉とは歳が離れており、自分が小さい頃には姉は家から出ていて、居候として家に戻ってきてからは姉は同居人としか思っていなかった。そのため、あまり実感がわかずキョウダイの縁とは何かと考えた。薄情だと思われそうなので言っておくが、両親に対しては感謝している。ここまで育ててくれたのは両親で無償の愛を感じていた。自分の中では両親に対しては今まで育ててくれた恩義を返す必要があると思っている。だが、キョウダイの縁に何の恩恵があろうか。縁を切られたからといって痛くもかゆくも無い。

人間の子供が親による保護の必要がなくなる年齢になったら、親と子は生物的には依存の必要性は無い。キョウダイともなればなおさら依存の必要は無い。家族とは何かと考えたら、本質的には人間が作り出した約束事で繋がっているだけのものだと考えられる。家族の縁というのは人間である以上、社会を構成する生き物である以上、切り離せないものであるのは仕方ない。しかし世襲で強制的に決まってしまうところに不自由さを感じる。世襲で強制的に決まってしまう縁よりも、自分で選んだ縁(友人、恋人、師など)の方が精神的に強い繋がりを感じる。と個人的には思っている。

そんな話を父としたら「それじゃヤクザだ」と言われた。このような考えに至った背景としては、自分は小さい頃から家に一人ぼっちで家族の愛情を受ける機会が少なかったというのが大きいと思う。うちの祖父は人が良すぎたために、連帯保証人として他人の借金を抱え、それを両親は必死に働いて返済していた。両親は昼夜問わず働き、自分は家に一人ぼっちだった。兄弟とは歳が離れており、一緒に遊ぶことはあまりなかった。家族に褒められたり叱られた記憶は多くない。両親は仕事で忙しいが故に放任主義になっていた。そんな中で幼いながらに家族とは何かと常に疑問に思っていてそのような結論に至ったというわけだ。

そんな価値観だから時々寂しさを感じることがある。心のそこから繋がりあえる家族というものを知らない。だからこそ、自分に家族や家族同然に付き合える親友ができたら大切にしようと常に思ってる。家族とは必ずしも血が繋がっていなくてもいい。むしろ血のつながりよりも心の繋がりを大切にしたいと思う。

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