人生は心がけ一つで如何様にもなる

この記事では、おそらく”後の黒歴史”ながらも「人生」について自分が実感し始めた事と、個人的な目標を書きたいと思います。

道を逸れることなく並の人生を送っている人と比べたら、自分の25年の人生は色々な事があったと思います。参考までにこれまでの人生の目次を幾つか引用するとこんな感じです。

ケンカで腕を折る…コミュ障…登校拒否…ネット炎上…引きこもりニート…パニック症…汚れ仕事…クローン病…

小生、この通りロクな人間ではありません。こんなろくでもない人生を送ってきたからこそ今振り返ってみてつくづく思うのです。

現在の自分は曲がりなりにも社会に出て働き、会社を辞めて安定した年収を捨てて、一人で仕事をして結果を出力する程度の能力のある人間になれました。まだまだ社交辞令など苦手な部分もありますが、それなりに社会人できてると思います。引きこもりニートからここまで成り上がれたのは多分半分は運なのでしょうけど、努力もあったと信じています。

辛い現実にぶち当たったときに自ら命を絶とうと思った事は何度かありました。しかし恐怖が勝りなぜか生き残っています。生に執着するほど希望を捨てきれていなかったのです。そこであることに気づきました。

人生において死は約束された事であるから、死に急ぐ事は無いのです。

人は遅かれ早かれいつか死にます。これは今のところ真理です。だからといってそれは悲観すべき事ではなく、むしろ良いことだと思えます。なぜならば無限に生きられるのならば人生の価値は皆無でしょう。無限に供給されるわけですから市場価値が付きません。人生は死ぬからこそ、限りあるからこそ価値が生まれるのだと思います。そして自分で死ななくともいつか死にます。

そして、人生は心がけ一つで如何様にもなるということです。

因果応報という言葉があるように、自分が因果を作ればそれなりの応報が帰ってきます。望んだ結果にはならないかもしれませんが、かならず何らかの形で帰ってきます。何らかの形で返ってきた応報を利用して次の因果を作り出せば良いのです。都内で最前線のセキュリティエンジニアとして働きたいと夢見て行動しながらも、結果的に地方のWeb制作会社に就職したとなっても結果的に良いじゃないですか。しかし因果すら作らなかった場合はどうでしょうか。何の応報も帰ってきません。

まとまりませんが、そんなこんなで人生心がけ次第で如何様にもなるということを実感したよということを書きたかっただけです。

これからの個人的な目標としては、やりたい事は足踏みせずやってみる事ですね。今まで流れに乗るように受動的に生きてきましたが、これからは能動的に動いていこうと思います。今の自分はフリーランス。所属する組織も無ければしがらみも無い。時間も自由にコントロールできるし、稼ぐ量も一定の範囲内でコントロールできる。これほど強いコンディションはありません。自分だっていつまで生きられるか分からないわけですから、この限られた人生の価値を最高に高めるには行動あるのみです。いつか死の影が訪れた時に後悔しないように。

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