ルソー社会契約論の個人的解釈

社会秩序とは全ての権利の基礎となる神聖なカタチであるが、これは人々の約束に由来するものであり、自然に由来するものではない。

家族という社会

自然状態において古くからある社会の例として「家族」が挙げられる。親は子を支配・扶養し、子は親に従属する。哺乳類である人間の子供は生存のために親の助けが必要になるが、親の助けが必要なくなる年齢に達しても親子は家族と認識する。そこには生物的な種の保存の本能を超えた「約束」で繋がった社会秩序が存在する。

力は権力になり得ない

暴力は物理的な力であるが、暴力に屈する事は意志によるものではない。力に力で打ち勝ち、何者にも服従しなくても罰せられないとすれば、強い者が正しいという事になり、強い者は常に合法的でありうる。しかしそれでは手段と目的が入れ替わってしまっている。”権力者には従え”ということが”力には屈しろ”という事であれば、強盗にサイフを渡さなければならない。なぜなら強盗が持っている銃も権力なのだから。そのような悪状況による自由の放棄は人間の本性と相容れないため、力は権力になり得ない。人間の間の正当な権威の基礎は約束だけとなる。

人が持つ2つの意志

人間には2種類の意志がある。

  • 一般意志: 公益を求める意志
  • 特殊意志: 私益を求める意志

2つの意志は相容れない性質を持つが、2つの意志が混ざった中では、特殊意志は相殺され、一般意志だけが残る。

社会契約

人間は生まれながらにして身体的に個体差があるため実質的には不平等である。さらに、個体では生きられない脆弱な生物である。身体的な不平等を是正し、個体の脆弱さを補うためには、集合することによって力の総和を作り、一致した動きをさせる必要性がある。それには多人数の協力が必要になるわけだが、各人が私益を害することなく協力できるだろうか?そこで、以下のような課題が出てくる。

  • 各人のリソースを守るような結合の形式を見出す。
  • 人々が結びつきながらも以前どおり自由である。

そこで、全員が一つの一般意志により統治された共同体に全面的に譲渡して利益を享受する。このような方法であれば、自由を損なわずに全員の公平性を保つことができる。

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