労働の本質は富の再分配

今の世の中は市場経済に縛られている

日本を含め多くの国では建前上は自由を掲げているものの、結局は資本主義という不公平の上での自由に過ぎない。労働者は労働力という擬制商品を雇用者に売って報酬を得ているが、一般的には勤務時間と報酬額は雇用者主導で決められている。その状況は労働者の1ヶ月分または1時間分の命の値段が市場原理によって決まるということだ。

市場経済の問題

既存の資本主義の仕組みのまま進行すると、持つ者が富を蓄え、持たざる者はより貧しくなりという、格差が大きい世の中になってしまう。キャッシュフローとはしばしば水の流れに例えられるが、水の流れが良くない場所は”淀み”という。資本主義の発達により生活水準は確かに底上げは行われているが、格差の拡大も平行している。市場経済による富の再分配は公平的ではないのは明らかである。フランスの経済学者トマ・ピケティは世界中の膨大な数の税務記録を調べ上げ、r>gという不等式(資本収益率は経済成長率を常に上回る)を掲げて格差の拡大のメカニズムを主張している。

お金は価値を回すための潤滑油

我々は労働力を売って貨幣を入手し、貨幣モノを交換するということをやっている。つまり貨幣を媒介して労働力モノに変えている。

要は、貨幣は富の再分配のための潤滑油に過ぎない。その正体は金属性の丸い板であったり、数字が書かれた紙だったり、電子記録などでしかなく、それ単体には何の価値も無い。10円玉と1円玉で電池を作る事くらいならできるかもしれないが。

お金は時代によって貝殻、石、金属、紙などと、形や材質を変えて存在してきた。最近は電子記録になり、とうとう実体が無くなりつつあり、既に銀行から現金を下ろさずとも生活ができる状況になっている。(税金や年金など日本国に納めるものは基本的に現金しか受け付けてないため、それを納めるためにだけ銀行へ行くが。)

ちなみに「現金」はいまや脱税者や犯罪者御用達の匿名化ツールと化している。そして所持する者は強盗や泥棒に狙われるリスクが高まるという脆弱性を持つ。現金は追跡されにくいため、不法な手段で取得するならクレジットカードよりも現金を狙う。現金は使う側にリスクがあるのだ。ヨーロッパの方では大きな額の札は殆ど流通しておらず、「現金お断り」という店も少なくない。

実体が無いお金というのは「電子記録」や「クレジットカード」が始まりでは無い。江戸時代ではツケというクレジットが利用できる店が多かった。お金の本質とは個人の信用(Credit)であり、そもそもバーチャルな存在である。

現代にツケが利用できる店はどれだけあるだろう。おそらく友人の店だとか、田舎の居酒屋ならできるかもしれないが、基本的にツケが効く店はほぼ無い。それは貨幣経済の発展により、個人の信用よりも貨幣の価値の方に重きを置く流れになっているためではないだろうか。

労働の本質は富の再分配

朝夕の通勤ラッシュ時の道や電車の混み様は無駄が多いように思える。渋滞のストレスの中、殆どの人が会社や工場などへ向かっており、畑や牧場へ向かってる人は極々少数である。

産業時代以前は「仕事=食糧生産」であった。産業が発達した現在は食糧生産をしている人は少数だが、食糧無しに人間が生きられるようになった訳ではない。我々の大半が食糧生産を行っていないのに何故食べれているのかというと、機械や肥料などのテクノロジーにより少数の食糧生産者が食糧を大量にまかなうことができる時代だからである。つまり本来の意味での労働はテクノロジーの進化により必要なくなっている。それでも働く必要があるのは、富の再分配に市場経済の仕組みが採用されているためである。

市場経済以外での富の再分配の仕組みとしては、パプア・ニューギニアの民族による「クラ交易」や、アメリカ大陸北西部の儀式である「ポトラッチ」や、イスラムの「ザカート」などがある。お隣さんとの醤油の貸し借りも再分配である。

現在の市場社会では、本来生存には関係ないような労働(例えば印を押すだけの高給弁護士など)や価値の伴わない儲け(証券取引や先物取引や利子など)を行うことで貨幣を得て、その貨幣によって食糧生産者を通じて食糧を交換するという構図が見えてくる。極論言うと、今我々が仕事と呼んでいる殆どの作業は必要無くて、ただ貨幣を得るためだけに働いているのではないだろうか。食糧生産や医療など諸々の問題解決のテクノロジーは足りているのだから問題は分配のみになる。分配の問題の解決方法として互酬にヒントがあるのではないかと思う。

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