暇だったので

暇だったのでふらりと出かけてきました。

近所の山

小学生の頃、よく友達とこの山に登っていました。頂上の眺めは良く、当時は通っていた小学校を見下ろす形で見えたので、ちょっとした優越感を味わっていました。

石段は当時と全く同じ配置で、木の位置も、落ちている石の位置もまったく変わらず、まるで当時から時間が止まっているようです。

あれから十数年経過した頂上は、すっかりと緑が生い茂ってしまい、眺めは良くありませんでした。

当時、頂上から景色を眺めている時、遠くにこの山と同じくらいの高さの山を見つけ、その山の頂上に赤い祠のようなものが見えていたのを思い出しました。いつか登ってやろうと思っていましたが、結局行かなかったな。

木々の隙間から祠をかすかに確認できました。↑画像の真ん中あたりです。

銅色に輝く寺の屋根

あれは小学校低学年の頃でしょうか。毎朝の憂鬱な通学路で、朝日に照らされ強烈に銅色に輝く寺の屋根を見て「今日も飽きずに光ってるなぁ」と思いながら校舎に入っていた記憶があります。あの屋根は現在どうなってるんだろうと思い、見に行ってきました。

記憶の中でギラギラに光っていた屋根は、すっかり黒くなっていました。もう二度と戻ることの無い銅色。記憶の中だけで輝き続けています。今思えばこれほどの量の銅版を使用しているという事は結構なお値段なのではと思います。

子どもだったあの頃は、学校・進路や狭い人間関係に束縛されていることを不自由に思っていて、大人はさぞかし自由なのだろうと羨んでいた。だが大人になった今思い返すと、子どもの頃の方が、何も無い毎日にワクワクできて、知らない事が楽しくて、意味も無く楽しかったなと思う。まあ9割思い出補正だろうけども。なんだかんだ今の方が楽しいんじゃないかな。

寺の前の通りの通学路。この鉄塔は最初に見たときから錆びていて全く変わりませんね。

画像右にはこの地域にしか無いらしいプロパンガスの空き缶を使用したこけし。標語が書いてあるのですが、なぜこけしの形なのか、なぜ標語が書いてあるのか、そもそも何の意味があるのか…今思うと不思議なオブジェクトです。

年代モノの消火器。これはレアです。

この地域で活躍した剣道範士の胸像。今日初めて存在に気づきました。

近所の山から見えていた祠

あの祠の正体は足利富士山にある男浅間神社であることが分かりました。登山口は幾つかあるようですが、そのうちの一つを見つけたので、隣にある駐車場に車を止めて登りました。

浅間神社まで450m ペタンコ祭とは。。。

この登山道は見晴らしが良く、織姫神社がよく見えます。

道は結構しっかりと踏み固められていて歩きやすかったです。

そろそろ頂上だろうか。。鳥居が現れました。

鳥居をくぐるとついにあの祠が現れました。

いつも見えていたのはこれかぁ。ようやく間近で拝める時が来ました。

境内からの眺めは最高に良好です。

ちなみにここを見ていた山はこんな感じに見えます。

この神社の歴史は古く、天喜2年(1054年)足利大夫藤原成行公が足利城築城に際し勧請されたと伝えられています。道と東武伊勢崎線を挟んで上社:男浅間と下社:女浅間があり、こちらの神社は上社の男浅間となっています。二つあわせて足利富士浅間神社ということでしょう。

ペタンコ祭りとは、毎年6月1日に、神前にて今年生まれの赤ちゃんの額に御朱印を押し、足利富士浅間神社に初山詣を行い無病息災、無事成長を祈るという祭りだそうです。昔、渡良瀬川が氾濫するたびに作物が取れず、疫病が流行し、多くの幼い命が奪われました。そこで、富士山信仰のあったこの地域の人々は神社の御朱印を子ども達の額に押すことで、幼い命を疫病や災難から守るためにこのような祭りが始まったと言い伝えられています。

分岐まで戻って「胎内洞穴」へ。当時の修験者が加持祈祷を行った為、上部が黒く焦げています。

何気なく登って見たら結構歴史が深かった。目を凝らせば凝らすほど面白いものが見えるものですね。

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