東武伊勢崎線で双六をしてみた

東武伊勢崎線で双六をしてみました。ルールは簡単。サイコロを振って出た目を進む。下車して近場をふらふらする。ゴールはスカイツリー。

スタート地点は足利市駅。

サイコロ1個だと鬼畜なので2個の合計で行く事にしました。第一回は4

4コ次は多々良駅。10:37分発の浅草行きに乗りました。電車双六するには少し時間が遅いですが色々事情があるので。

多々良駅に到着。なんかデジャヴ。そういえば学生時代に部活で館林美術館に行く時に一度だけ来たな。

美術館は遠すぎるし、連れがあまりにも興味なさそうなので、サイコロを振る。

8が出たので鷲宮駅へ。

懐かしい。大阪の友達と一緒に来たとき以来だから6年ぶりだ。

駅前の小さな商店がまだやっていて安心しました。

劇中にも映っている有名な赤い橋。

OPで映っていた鷲宮神社前。以前は立派な鳥居があったが、2018年8月11日に老朽化によって崩れ落ちてしまった。非常に残念。。

大酉茶屋で甘酒ロックを頼みました。うまい!

以下境内の画像(適当)

2019年もまだまだ「らき☆すた」の絵馬が多く掛けられています。地元商工会による努力の甲斐もあってかいまだに根強いようです。

お昼時なので6年前にも大阪の友達と来た「多幸焼」に行ってみました。

店内は壁一面にお客さんが書いていった絵で埋め尽くされています。この町に来るお客さんのアニメ愛を感じると共に、当時としてはアングラだったアニメ文化を前面に出して町おこしをする姿勢にこの町の懐の深さを感じました。

そういえば3種類のソースを選べるシステムでした。一番辛くなさそうな「ツンダレ」をチョイス。

美味しかった。

多幸焼を後にして、次の行き先を決めます。できる限り大きな目が出るように祈りながらサイコロを振ります。

出た目は9。せんげん台駅。

徐々に周りの景色がコンクリートジャングルになってきました。駅周辺ではポケGOの集団がスマホとにらめっこ。

せんげん台駅周辺は、いかにも生活しやすく作られた街という感じで特に行くところは見つからず、とりあえず目に入ったキャンドゥに寄ってから次へ行く事に。

とりあえずサイコロを振る。出た目は7。時間も迫ってきているし、連れが飽きてきているので、急行の停車駅でカウントするという加速チートを使います。

ゴールの押上駅に着きました。やったね。

そらまちの中をふらふらウインドウショッピングして、ここでしか買えないとされている「東京ばな奈」をおみやげに買いました。(全国各地のお土産は大体ネットで購入できてなんだかなぁと思う今日この頃です。)

そらまちには本屋から生鮮食品が売られているスーパーまであります。バリバリのお土産屋などが入っているのかと思っていましたが、地方のショッピングモールのすごい版でした。

帰りはりょうもう号でびゅーんと帰りました。

約1時間半でスタート地点の足利市駅に着きました。やっぱりょうもう号は早いね!

ばななっていうかキリン

あとがき

田舎から都会まで色々な街を見ると、どこもまあ同じような風景です。街の中心に向かう大通りがあって、そこから枝分かれするように細い道があって、さらに細かい道があって…道路は無数にあるように見えてもそんな事はなく、道路の雰囲気で前の車が何処から来て何処に向かおうとしているのかを覚る事ができてしまう。街の中心には必ず大きめな駅があって、その周辺には大手チェーン店があって、田舎であれば幹線道路の端にはイオンモールが高確率で有る。田舎は何処の田舎に行っても似たような景色です。

今回気づいた事は、都会と田舎の違いは「緑とコンクリートの比率」と「人口密度」くらいだったということ。(都会の定義は人によってばらつきはあると思うけど)
自分は田舎住みなのですが、平日は会社へ通い(会社員時代は)、休日にはイオンのようなショッピングモールで買い物をするように、都会の人たちも休日は「そらまち」や「ヴィーナスフォート」や「ダイバーシティ東京プラザ」などで買い物をするのでしょう。人間が普段やってる営みは何処の地域も似たようなものなのだろうと思いました。

流行やオシャレを目的に都会志向が強い人が世の中には沢山居るようですが、そのようなタイプの人は自分で価値観の軸を持ち合わせておらず、他人が良いと思うものが良いと思ってしまうタイプでしょう。流行とは一過性のものであるため、本当にオシャレな人とは価値あるものを見極め価値あるものと信じる事ができる人、目利きができる人なのだろうと個人的には思っています。

脈略の無い話に反れてしまいましたが、人間が生活の余剰で行っているエンターテインメントは買い物やコンテンツを見聞きする「消費」や絵を描いたり写真を撮ったりなどの「生産」の二つに大別されるでしょう。スポーツや格闘技はどちらに入るか分かりませんが、時間と体力の消費と引き換えに健康な体と楽しみを得るという意味では「消費」なのでしょうか。

まとめると、田舎はどこも同じ景色で、都会と田舎の違いは緑とコンクリートの比率と人口密度くらいで、人間が生活の余剰で行っているエンターテイメントはつまるところ「消費」と「生産」の2つしかないという事にふと気づいたという話です。

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