外犬のシロが死んで1年経った

日記 0 Takuya Kobayashi

なんだかふと思い出した。

もう外犬のシロが死んで1年経ったよなぁ。11月に死んだんだっけ。2004年くらいだろうか、姉の友達からもらった子犬で、クレヨンしんちゃんが好きだった俺はシロと名付けた。当時裏の家でも犬を飼っていて名前がホワイトだったので被ってると言われたが、そんなの関係ない。

小さいうちは家の中で飼っていて、抱いて一緒に寝たりしていた。コードをかじったりしていたずらをするようになって、それが原因なのか外で飼うことになった。親がボブハウスと鎖と首輪を買ってきて、外に設置して繋いでしまった。猛反対をしたが、願いは聞き入れられなかった。

外につながれた最初の頃はシロはずっとキャンキャン鳴いていた。しかし、二日か三日たったら諦めたのだろうか、鳴かなくなった。今書きながら可哀そうな事をしたなと思う。電気コード噛むからって外犬にしなくても・・・あの時を思い出すとシロはどんな気持ちでいたのだろうか。思うだけで心が痛む。

散歩へは時々連れて行った。ロープを持つと嬉しそうにはしゃぎまわって。今思えば、ずっと同じところに繋がれていて相当退屈だったんだろうな。時々器用に鎖を外して脱走をしたことが何度かあった。長くて丸1日帰ってこないこともあったが、最終的には観念して捕まりに戻ってくる。友達と遊びに行く時に自転車で移動していたが、シロを動力にして一緒に遊びに行ったこともあった。ある日、散歩の際に友達にリードを持たせたら引っ張られて手を放してしまい、そのまま脱走ということもあったな。脱走するとかならず近所をずっと走り回っていた。きっと自由をかみしめていたんだろうな。脱走するたび叱っていたが、可哀そうなことをしてしまった。

そんな元気なシロだったが、一昨年辺りから元気が無くなって来ていた。日に日に衰えていく姿を見て可哀そうで仕方なかった。最後は自力で水も飲めずエサも食べられず。ある日の朝、死んでいた。15歳だった。

シロの死によって色々考えさせられた。死は誰もが逃れることのできないものであり、早く死ぬ人と長生きする人、病気で余命宣告された人、これらはただ単に残り時間の差でしかないのだと悟った。しかし、このシロは何のために生きていたんだろう。生涯ほぼつながれっぱなしで誰に看取られることも無く苦しんで死んだ。衰えてヨタヨタし始めた時、苦しんでまで生きている意味はあったんだろうか。シロの一生に価値はあったんだろうか。

そう思うと、シロだけじゃない。もらい事故で無くなった子供たち、白血病で亡くなった俺の同級生、自ら命を絶った俺の同級生、やるせなさ過ぎる。この世は結局運ゲーで何らかの運命によって命を間引かれることもあるのだろう。

生きている俺が死んだシロに対してできる事は「悼む」ことしかない。時々こうやって思い出して心動かすことで、シロの一生の価値を上げることができるんじゃないかな。シロは畑の隅に埋まっている。シロの屍は大地に還り、次の生命へ繋がって行くことだろう。安らかに眠れ。

俺も誰かに悼まれる価値ある人生にしたい。

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以上