遭難系のYahooニュースのコメント欄はなぜか荒れる

登山・キャンプ 0 Takuya Kobayashi

毎年5月頃になると山岳遭難の報道が増えますが、そのたび、ニュースのコメント欄が荒れる印象にあります。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3a408784443625f0928f30f9c14919734661d576/comments?page=5&t=t&order=recommended

コロナ過に山に登るのはけしからんとか、身の丈に合わない山を選んだからだ、挙句の果てには「いつも思うが死ぬかもしれない危険な登山をなんでするんだろう?」というコメントもあり、まるで山に登ることが悪のような言い方をする人も一部いるようで。

あらゆることにリスクがあるのだから責められない

登山に限らず、日常のありとあらゆる物事にリスクはつきものです。例えば、通勤中に事故に巻き込まれる事もあるし、家にこもっていても生活習慣病リスクが高まる。起きてしまう事はどれだけ気を付けていても起きてしまうものです。山を登らないことで遭難リスクを回避できたとしても他のところに沢山のリスクが潜んでいる。

誰もが日常で多かれ少なかれリスクを負って過ごしている点では同じ事であるため、トラブルに遭った者を責められる人間はどこにも居ません。

とはいえ、登山初心者だけど3000m級の山を日帰りで行くぜ地図もコンパスも持たないぜっていうような人が居たとしたらお前は一生家に居ろと言いたくはなる。「身の丈に合った山を選ばないと」というコメントも気持ちはわかるけれど・・・この記事には遭難者の装備や経験、考え方なんて書いておらず、「いつどこでだれがなにをなぜどのように遭難者が死亡しました」という表面的なことしか書いていません。そんな乏しい情報量の記事をもとに、遭難者を非難することはできないでしょう。

それってあなたの感想ですよね?

リスクを冒してまで登山をする意味が分からないという批判は、「それってあなたの感想ですよね(ひろゆき風)」ということです。人それぞれいろいろな価値観という物差しを持っていて、それらが多様性なのですが、一部のそういう人は自分の物差しがISO規格かのように物を言う。そういう考え方は視野が狭い。しかし、視野が狭いことは罪じゃないし、多様性という観点からはそういう人がいてもいいかもしれませんが。

「なぜ山を登るのか」

登山を通じて景色がきれいとか空気がおいしいとか得られる体験はあるが、苦労して山を登らずとも、車で空気がきれいなところや眺めがいい展望台にアクセスできるし、山の頂上からの景色はネットでいくらでも見ることができる。

「なぜ山を登るのか」に限らず、物事の意味を求め始めてしまうと、最終的には「生きる意味とは?」にたどり着く。そして生きる意味を考えても答えは出ないし、そのテーマの本を何冊か買ったことがあるがどれも明確な答えは書いてなかった。

そこで自分は、問い自体に疑問を持ち、その類の問いは物事に意味を付与することでモチベーションを得ようとする人間のエゴであることを悟るわけです。

これは自分の物差しですが、「意味わからん人生を生きているのだから、意味を考える事そのものが無意味」というのが自分の考えです。般若心経にも次のようにあります。「色即是空空即是色」

現世に存在するあらゆる事物や現象はすべて実体ではなく、空無であるということ。▽仏教語。「色」はこの世のすべての事物や現象。「空」は固定的な実体がなく空無であること。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%89%B2%E5%8D%B3%E6%98%AF%E7%A9%BA/#idiom_sanseido-7790

衝動のまま山を登り、空気がキレイだな、景色がきれいだな、山で食べるご飯はおいしいな。そんなことを思って過ごせば良いのです。そこで一つ二つこだわりが沸いてくれば人生楽しいものです。

できる限り他人に迷惑をかけないように登山を楽しもうと思います。

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以上